2006年 01月 17日
茶碗 (・・・今の私の思うところ) |
■陶芸(楽陶会):いよいよ制作開始!野点に向けて・1 ukkyさんのブログにTB。
その記事に、コメントを書いていたら、やたら長くなってしまったので、
迷惑かけても・・・と、自分の記事に書き換えてしまいました(笑)。
できれば、ukkyさんの記事を読んでから、どうぞ。
長次郎 赤楽茶碗 『無一物』
茶碗・・・
不思議な存在の物ですよね。
陶芸の中でも、特別な存在です。
なんだか やたらに価格は 高い気がするし(笑)。
ただ、
まず前提として意識しておかなければならないのは、
『茶の湯の道具』だという事です。
だから、
茶の湯をやらない人には、大して必要の無い物です。
でも、
日本では、500年以上にわたり、
その一服の茶を飲むための茶碗を 大切に意識してきた歴史があり、
それこそ現代になると、日本で陶芸に興味を持てば 多くの人が、
出会ってしまう世界なのです。
茶道具の中でも、こと茶碗に関しては特に、
使い手からも、作り手からも、いろいろな考えがあるもののようで、
結局何でも有りなのかもしれません。
もともと、見立で存在していた物ですしね。
特に、秀吉・利休の頃から政治にも絡むようになって、
ある意味 単純な茶の湯の道具以上に、特殊で難解な存在になった気がします。
そして、他の焼き物と違った価値感覚で見られ作られる様になっている・・・。
光悦 白楽茶碗 『不二山』
こうでなければ、いけない・・・みたいなのが有るとすれば、
お茶が飲める器である事(笑)。
それから・・・あるルールの下に考えるという事で、
それは、普通に言えば、
「従来の茶道における お点前で、使えるかどうか」
と、言う事ではないかと思います。
縁がギザギザだと、茶巾が破けるし、
見込みがザラザラだと、、茶せんの先が折れるし、
茶室を考えれば、畳に納まる大きさである必要があるだろうし・・・、
大体、一度にいただく量も決まっている。
自分で お点前考えたら、ホントの何でもあり(笑)。
話題になっている重さを考えてみると、たぶん、
持てる重さならどの位あってもいいんです。
陶土によって重さは違うし、
重心の位置によっても感じ方が違う。それに、
軽いの重いのって、人によって違うでしょう。
大きさ・厚さ・重さ・重心の位置、肌合い・・・、
感覚的な問題が多いです。
それらを感じながら、いろいろ考えて想って作るのが面白いです。
そして最終的には、、
席主がそれを使うかどうかという問題なのですけれど。
ちなみに、
志野 『卯花墻』・・・・・・・・・・・・・・・496g
長次郎 黒楽 『俊寛』・・・・・・・・・・・320g
光悦 赤楽 『雪峰』・・・・・・・・・・・・・446g
雨漏茶碗・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・325g
大井戸茶碗 『美濃』・・・・・・・・・・・・387,8g
仁清 『色絵鉄仙花唐草文茶碗』・・・295g
等など、国宝、重文クラスでも様々です。
志野茶碗 『卯花墻』
結局、作り手からすれば、
「なんで 『茶碗』を作りたいのか?作るのか?」
そこに、その時その時の答えがあるのでしょうね。
茶の湯と世の中との関わりも相当変わってきていて、
物事の面白味、価値観も多様になって来ている現代では、
どの切り口で、茶の湯の茶碗を作るのか。
ここが、ポイントかと思います。
-------------------------------------------------------
長い文章になりました。
いろいろ、分かったような事書きましたが、
実のところ、全然分かっちゃいない事は、よく分かっているだけなんです(笑)。
ただ10年位前、数年にわたり茶道を 熱心にしていた時期があり、
また、懐かしく感じている今日この頃です。
※ 文中に掲載した茶碗のうち、光悦 白楽茶碗 『不二山』 と、志野茶碗 『卯花墻』は、国宝に指定されています。
たぶん、現在 国宝に指定されている茶碗のうち、国内で焼かれた物はこの2点のみです。
その記事に、コメントを書いていたら、やたら長くなってしまったので、
迷惑かけても・・・と、自分の記事に書き換えてしまいました(笑)。
できれば、ukkyさんの記事を読んでから、どうぞ。
茶碗・・・
不思議な存在の物ですよね。
陶芸の中でも、特別な存在です。
なんだか やたらに価格は 高い気がするし(笑)。
ただ、
まず前提として意識しておかなければならないのは、
『茶の湯の道具』だという事です。
だから、
茶の湯をやらない人には、大して必要の無い物です。
でも、
日本では、500年以上にわたり、
その一服の茶を飲むための茶碗を 大切に意識してきた歴史があり、
それこそ現代になると、日本で陶芸に興味を持てば 多くの人が、
出会ってしまう世界なのです。
茶道具の中でも、こと茶碗に関しては特に、
使い手からも、作り手からも、いろいろな考えがあるもののようで、
結局何でも有りなのかもしれません。
もともと、見立で存在していた物ですしね。
特に、秀吉・利休の頃から政治にも絡むようになって、
ある意味 単純な茶の湯の道具以上に、特殊で難解な存在になった気がします。
そして、他の焼き物と違った価値感覚で見られ作られる様になっている・・・。
こうでなければ、いけない・・・みたいなのが有るとすれば、
お茶が飲める器である事(笑)。
それから・・・あるルールの下に考えるという事で、
それは、普通に言えば、
「従来の茶道における お点前で、使えるかどうか」
と、言う事ではないかと思います。
縁がギザギザだと、茶巾が破けるし、
見込みがザラザラだと、、茶せんの先が折れるし、
茶室を考えれば、畳に納まる大きさである必要があるだろうし・・・、
大体、一度にいただく量も決まっている。
自分で お点前考えたら、ホントの何でもあり(笑)。
話題になっている重さを考えてみると、たぶん、
持てる重さならどの位あってもいいんです。
陶土によって重さは違うし、
重心の位置によっても感じ方が違う。それに、
軽いの重いのって、人によって違うでしょう。
大きさ・厚さ・重さ・重心の位置、肌合い・・・、
感覚的な問題が多いです。
それらを感じながら、いろいろ考えて想って作るのが面白いです。
そして最終的には、、
席主がそれを使うかどうかという問題なのですけれど。
ちなみに、
志野 『卯花墻』・・・・・・・・・・・・・・・496g
長次郎 黒楽 『俊寛』・・・・・・・・・・・320g
光悦 赤楽 『雪峰』・・・・・・・・・・・・・446g
雨漏茶碗・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・325g
大井戸茶碗 『美濃』・・・・・・・・・・・・387,8g
仁清 『色絵鉄仙花唐草文茶碗』・・・295g
等など、国宝、重文クラスでも様々です。
結局、作り手からすれば、
「なんで 『茶碗』を作りたいのか?作るのか?」
そこに、その時その時の答えがあるのでしょうね。
茶の湯と世の中との関わりも相当変わってきていて、
物事の面白味、価値観も多様になって来ている現代では、
どの切り口で、茶の湯の茶碗を作るのか。
ここが、ポイントかと思います。
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長い文章になりました。
いろいろ、分かったような事書きましたが、
実のところ、全然分かっちゃいない事は、よく分かっているだけなんです(笑)。
ただ10年位前、数年にわたり茶道を 熱心にしていた時期があり、
また、懐かしく感じている今日この頃です。
※ 文中に掲載した茶碗のうち、光悦 白楽茶碗 『不二山』 と、志野茶碗 『卯花墻』は、国宝に指定されています。
たぶん、現在 国宝に指定されている茶碗のうち、国内で焼かれた物はこの2点のみです。
by ikkannet
| 2006-01-17 14:20