2008年 12月 03日
樹脂の硯 |
次女が、小学校や書道教室で使っている硯です。
毎週、書道教室で使った後は、
私の工房の流しで洗って乾かしているので、いつも目にします。
それは、樹脂で出来ています。
とても軽い。でも軽くても動かないようにと、しっかり滑り止めもあり、
そして、リバーシブル。
裏返せば、墨汁用となっています。
現代、学校の授業などでは、
時間のかかる「墨を擦る」と言う行為は無く、墨汁を使います。
よく見ると「ふでならし」という衝立(?)があり、これがとても便利だからと
このタイプを購入する事をわざわざ勧められました。
少し私に考えがあって、
長女には石の硯を持たせたけれど、
次女は、上記の指導もあり、樹脂になりました。
思い出せば子供の頃、
硯は石で重かったし、墨を擦る時間はとても退屈だったし、
すごく快適になっています。
・・・そういう意味では、とても合理的で、よく考えられている商品です。
ところが、私にはどうも、しっくりきません。
懐古趣味なのかな・・・時々、墨で絵を描くのを楽しんでるからなのかもしれません。
単純に用途を割り切ればとてもいい道具なのですが、
なんか「代用的プラスチックの茶碗」の様な、違和感も感じます。
私の硯に対する意識は、学生時代の浅野先生との会話に始まります。
「古端渓の石がいいんだ。」
・・・それは唐突でした。
その言葉に、何だかよく分からないまま、書道専門店へ。
お店の人と話ししながら、選んだ硯。
数滴水をたらし、指先でこすり、その吸い付く感触を見る。
その感触で、硯の良さを見るそうだ。
よくは分からないなりにも、何かを感じる。
験しにと店の硯を端から触らせてもら。
そして選んだ硯。
「これはいいですよ。」とお店の人。
「古」ではないけれど端渓の硯。
薄給の助手の懐で精一杯の硯。
独特の細工紋様はないけれど、シンプルなのを求めていたからそれは良し。
それからは、墨を擦るのが妙に好きになる。嬉しくなる。
墨を擦っている その時間がとてもいい。 (・・・でも、これは大人だから感じるのかもしれませんね・・・)
そして使っていると、硯やら墨にも愛着が湧いてくる。
その後日、購入した硯を手に、先生の部屋へ行くと、
さらに墨の話やら何やら、話はどんどん広がっていきます。
「硯で墨をすって出来たばかりの墨汁は、
商品として売られている墨汁と濃淡の階調が歴然と違い、
ハーフトーンがとても美しいのだよ。」
「墨は、日本の物の方が、質がいい。」・・・などなどと。
以後、
コレクターになるとか、そんなに普通以上に硯の趣味を持っているわけではありません。
でも、長年使い減ってきた「おか」の部分を見ながら、
「研いで整えた方がいいのかな・・・。でも、それ程のものでもないのかな・・・。」 なんて、
よく割れてしまった焼き物を前に金継ぎする程の物か悩む姿と同じになっていたり・・・と、
道具に対する愛着は深まり、
石の違いで発色ってホントに変わるのかな。いずれ買って感じてみよう・・・とか、
知り合いになった作家の方々の顔を思い浮かべながら、作り手の感じる硯もいいな・・・とか、
全ては「いずれ」の話しなれど、楽しみは続き、いろいろ発展していきます。
そのうち、樹脂の硯にもそれにまつわる色々な話しが
展開されるようになるのでしょうか。
ホントに些細な事ですが、いつもこの硯を見るたびに、少しばかり想ってしまうのでした。。。
こんな話を聞かされる、うちの娘達。
「お父さん、また偏ったこだわり言ってる・・・。」 という風に、
軽く流しているカンジです(笑)。
毎週、書道教室で使った後は、
私の工房の流しで洗って乾かしているので、いつも目にします。
それは、樹脂で出来ています。
とても軽い。でも軽くても動かないようにと、しっかり滑り止めもあり、
そして、リバーシブル。
裏返せば、墨汁用となっています。
現代、学校の授業などでは、
時間のかかる「墨を擦る」と言う行為は無く、墨汁を使います。
よく見ると「ふでならし」という衝立(?)があり、これがとても便利だからと
このタイプを購入する事をわざわざ勧められました。
少し私に考えがあって、
長女には石の硯を持たせたけれど、
次女は、上記の指導もあり、樹脂になりました。
思い出せば子供の頃、
硯は石で重かったし、墨を擦る時間はとても退屈だったし、
すごく快適になっています。
・・・そういう意味では、とても合理的で、よく考えられている商品です。
ところが、私にはどうも、しっくりきません。
懐古趣味なのかな・・・時々、墨で絵を描くのを楽しんでるからなのかもしれません。
単純に用途を割り切ればとてもいい道具なのですが、
なんか「代用的プラスチックの茶碗」の様な、違和感も感じます。
私の硯に対する意識は、学生時代の浅野先生との会話に始まります。
「古端渓の石がいいんだ。」
・・・それは唐突でした。
その言葉に、何だかよく分からないまま、書道専門店へ。
お店の人と話ししながら、選んだ硯。
数滴水をたらし、指先でこすり、その吸い付く感触を見る。
その感触で、硯の良さを見るそうだ。
よくは分からないなりにも、何かを感じる。
験しにと店の硯を端から触らせてもら。
そして選んだ硯。
「これはいいですよ。」とお店の人。
「古」ではないけれど端渓の硯。
薄給の助手の懐で精一杯の硯。
独特の細工紋様はないけれど、シンプルなのを求めていたからそれは良し。
それからは、墨を擦るのが妙に好きになる。嬉しくなる。
墨を擦っている その時間がとてもいい。 (・・・でも、これは大人だから感じるのかもしれませんね・・・)
そして使っていると、硯やら墨にも愛着が湧いてくる。
その後日、購入した硯を手に、先生の部屋へ行くと、
さらに墨の話やら何やら、話はどんどん広がっていきます。
「硯で墨をすって出来たばかりの墨汁は、
商品として売られている墨汁と濃淡の階調が歴然と違い、
ハーフトーンがとても美しいのだよ。」
「墨は、日本の物の方が、質がいい。」・・・などなどと。
以後、
コレクターになるとか、そんなに普通以上に硯の趣味を持っているわけではありません。
でも、長年使い減ってきた「おか」の部分を見ながら、
「研いで整えた方がいいのかな・・・。でも、それ程のものでもないのかな・・・。」 なんて、
よく割れてしまった焼き物を前に金継ぎする程の物か悩む姿と同じになっていたり・・・と、
道具に対する愛着は深まり、
石の違いで発色ってホントに変わるのかな。いずれ買って感じてみよう・・・とか、
知り合いになった作家の方々の顔を思い浮かべながら、作り手の感じる硯もいいな・・・とか、
全ては「いずれ」の話しなれど、楽しみは続き、いろいろ発展していきます。
そのうち、樹脂の硯にもそれにまつわる色々な話しが
展開されるようになるのでしょうか。
ホントに些細な事ですが、いつもこの硯を見るたびに、少しばかり想ってしまうのでした。。。
こんな話を聞かされる、うちの娘達。
「お父さん、また偏ったこだわり言ってる・・・。」 という風に、
軽く流しているカンジです(笑)。
by ikkannet
| 2008-12-03 22:12