2008年 11月 25日
「鉄釉草文皿」 |
茶褐色の釉の上に黒釉で草の絵付け・・・。
田村耕一先生の作です。
学生時分、鉄の発色が好きで、黒釉や鉄絵の作品ばかりを作っていた頃、
私が作っている作品を見ながら、当時講師だった宮脇昭彦先生に聞かれました。
「田村先生、昔どんな作品作っていたか知ってる?」
「・・・すみません・・・知りません・・・。」
その頃・・・私が陶芸を勉強し始めた頃は、
すでに先生は青磁釉に鉄絵の作品の時代でした。
全くの不勉強で、
先生が過去にどの様な作品を作っていらっしゃったのか
まだ全然知らなかったのです。
慌てて調べ、先生の黒釉鉄釉の作品を知り、
その作風がジーンと身体と言うか心と言うか・・・なにしろ感じ入ったのを覚えています。
改めて自分の仕事のレベルの低さ・・・未熟さを強烈に感じながら、
なんだか先生に近づいている気がして妙に嬉しかった事もまた覚えています。
「チョコレート釉」・・・
正式にはそんな呼び方はしていなかったようで、
作品集のどこにも出てきませんが、
この作品にも使われている茶褐色の釉の事を、
ある日 先生はそう呼んでいました。
厳しさを含め、日頃、緊張しながら接していた あの先生がおっしゃった
「チョコレート」の響きが私の耳には何とも新鮮で記憶に残っています。
無類のコーヒー好きの先生でしたから、
色味的には「コーヒー釉」でも良かった気もしましたが、トロッとした具合も
ポイントだったのかもしれないなぁ・・・
なんて、どうでもいい思い出話ですね。すみません・・・。
時々手元にあるこの作品を眺めながら、
形作りの事、釉の事、絵付けの事、焼成の事・・・先生の話を思い出します。
それが具体的に直接的に 何と言う訳でもないのですが、
次に向けての気持ちになったりしています。
私が大学院を終了した年と田村先生が教授を定年退官された年と一緒でした。
その年に、人間国宝に認定され・・・しかし、次の正月には病気でなくなられました。
尊敬する先生に出会える最後に間に合った幸せ者です。
しかし・・・しかし、何一つ恩返しできていない自分の仕事ぶり・・・反省。
こんなこともありました。
初めて伝統工芸新作展(現在は、東日本伝統工芸展)に出品しようと
大学の窯場で作品を並べ出品作を選んでいた時に、
偶然窯場にみえた田村先生に講評して頂いた事がありました。
その時の唯一記憶に残る言葉が、
「こんなに作ったの?土がもったいない。」
・・・同じ絵付けの大皿の山を前に、静かに発せられた言葉。
(「うーん・・・確かに能が無い・・・。」)
非常にショックな言葉でしたが、考えさせられました。
やはりそれは相当悔しく・・・でも それが、次の制作のエネルギーになっていました。
そしてその後、
一点一点少しでも意味のあるように制作しようと意識するようになりました。
今となっては、すごくありがたい言葉です。
その後その作品、記念すべき初入選となりました。しかし、
その嬉しい気持ちよりも何とも言えぬ渋い気持ちだったのを覚えています。
「尾花文大皿」・・・図録はまだ白黒の時代でした。
■ ブログ内 田村先生 関連記事 ・・・『20年前の・・・』 (06/ 3/22)
『技法書 「陶芸の技法」』 (07/ 5/16)
田村耕一先生の作です。
学生時分、鉄の発色が好きで、黒釉や鉄絵の作品ばかりを作っていた頃、
私が作っている作品を見ながら、当時講師だった宮脇昭彦先生に聞かれました。
「田村先生、昔どんな作品作っていたか知ってる?」
「・・・すみません・・・知りません・・・。」
その頃・・・私が陶芸を勉強し始めた頃は、
すでに先生は青磁釉に鉄絵の作品の時代でした。
全くの不勉強で、
先生が過去にどの様な作品を作っていらっしゃったのか
まだ全然知らなかったのです。
慌てて調べ、先生の黒釉鉄釉の作品を知り、
その作風がジーンと身体と言うか心と言うか・・・なにしろ感じ入ったのを覚えています。
改めて自分の仕事のレベルの低さ・・・未熟さを強烈に感じながら、
なんだか先生に近づいている気がして妙に嬉しかった事もまた覚えています。
「チョコレート釉」・・・
正式にはそんな呼び方はしていなかったようで、
作品集のどこにも出てきませんが、
この作品にも使われている茶褐色の釉の事を、
ある日 先生はそう呼んでいました。
厳しさを含め、日頃、緊張しながら接していた あの先生がおっしゃった
「チョコレート」の響きが私の耳には何とも新鮮で記憶に残っています。
無類のコーヒー好きの先生でしたから、
色味的には「コーヒー釉」でも良かった気もしましたが、トロッとした具合も
ポイントだったのかもしれないなぁ・・・
なんて、どうでもいい思い出話ですね。すみません・・・。
時々手元にあるこの作品を眺めながら、
形作りの事、釉の事、絵付けの事、焼成の事・・・先生の話を思い出します。
それが具体的に直接的に 何と言う訳でもないのですが、
次に向けての気持ちになったりしています。
私が大学院を終了した年と田村先生が教授を定年退官された年と一緒でした。
その年に、人間国宝に認定され・・・しかし、次の正月には病気でなくなられました。
尊敬する先生に出会える最後に間に合った幸せ者です。
しかし・・・しかし、何一つ恩返しできていない自分の仕事ぶり・・・反省。
こんなこともありました。
初めて伝統工芸新作展(現在は、東日本伝統工芸展)に出品しようと
大学の窯場で作品を並べ出品作を選んでいた時に、
偶然窯場にみえた田村先生に講評して頂いた事がありました。
その時の唯一記憶に残る言葉が、
「こんなに作ったの?土がもったいない。」
・・・同じ絵付けの大皿の山を前に、静かに発せられた言葉。
(「うーん・・・確かに能が無い・・・。」)
非常にショックな言葉でしたが、考えさせられました。
やはりそれは相当悔しく・・・でも それが、次の制作のエネルギーになっていました。
そしてその後、
一点一点少しでも意味のあるように制作しようと意識するようになりました。
今となっては、すごくありがたい言葉です。
その後その作品、記念すべき初入選となりました。しかし、
その嬉しい気持ちよりも何とも言えぬ渋い気持ちだったのを覚えています。
「尾花文大皿」・・・図録はまだ白黒の時代でした。
■ ブログ内 田村先生 関連記事 ・・・『20年前の・・・』 (06/ 3/22)
『技法書 「陶芸の技法」』 (07/ 5/16)
by ikkannet
| 2008-11-25 00:08
| コレクション