2007年 05月 28日
第35回 新作陶芸展 |
個展の真っ最中ではありますが、
もう一つ、作品を出品している展覧会が始まります。
昨年もご案内しました 新作陶芸展 。
今年は、大皿を出品しています。
蓮池を見に行った時に いつも思う
蕾の何とも愛らしい その表情を図柄にしてみました。
他、人間国宝の作品をはじめ 多くの作品が観ることが出来ます。
会期、会場は下記の通りです。
どうぞ 宜しく 御願いいたします。
5/29(火) - 6/3(日)
10:00 - 19:30
日本橋三越本店 新館7階 ギャラリー
この展覧会の図録をパラパラと開けてみると、
陶芸部会長をされている 鈴木藏先生のお言葉が。
(今回の図録の表紙)
私たち出品作家に向けてのものではありますが、
そして、その出品作家である私にとっては、
縄文と弥生、徒然草など 勉強しなければならない事等が 多くある文章ですが(汗)、
でも、何か、「伝統」に対する陶芸家の一つの考えを読むことができる 興味深い文章です。
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ここに出品している人は、日本伝統工芸展(陶芸部門)の厳しい鑑査を越えて、実績を積んで正会員になった作家であることを、お互いに認識したい。
日本の工芸は永い歴史を持ち、特にやきものは最も古く、作られたものがかたちとして連綿と続いて残って来ている。
縄文式土器から一万三千年とか、それよりもっと遡るとも言われるが、太古からの歴史と伝統を持っている。
ここで「伝統」を考えてみると、そこに住んでいる人々が周りの環境から学んで永年かかってつくり上げた感性を基とした思考方法や表現方法による美意識であると思うが、周りの環境とは大自然の動きでもある、その民族と言ってもいいが、民族固有のものだ。
美意識の原型として縄文的なるものと、弥生的なるものとの二つがあると言われ、其の内容は正反対のものだが、あまり問題にもされない時もあった縄文時代だが、一万年以上もあり、両者を比較してみると教えられるところは大きい。
過酷な自然環境の中から生まれたものと、徒然草にある有名なくだりだが「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。」と最も日本的と言われている両者だ。
勿論、我々の伝統は外来文化の影響も大きく、咀嚼して多くを受け入れて来てはいるが、この感性の巾の広さと、他に類をみない美意識と表現方法を持っている。それは一人一人の心のどこかに潜むものでもある。如何に表現するかだ。
いま陶芸を考えた時、大変な過渡期であるだけに我々のなさなければならない大きな使命がそこにあり、国際社会に訴える時でもある。
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もう一つ、作品を出品している展覧会が始まります。
昨年もご案内しました 新作陶芸展 。
今年は、大皿を出品しています。
蓮池を見に行った時に いつも思う
蕾の何とも愛らしい その表情を図柄にしてみました。
他、人間国宝の作品をはじめ 多くの作品が観ることが出来ます。
会期、会場は下記の通りです。
どうぞ 宜しく 御願いいたします。
5/29(火) - 6/3(日)
10:00 - 19:30
日本橋三越本店 新館7階 ギャラリー
この展覧会の図録をパラパラと開けてみると、
陶芸部会長をされている 鈴木藏先生のお言葉が。
私たち出品作家に向けてのものではありますが、
そして、その出品作家である私にとっては、
縄文と弥生、徒然草など 勉強しなければならない事等が 多くある文章ですが(汗)、
でも、何か、「伝統」に対する陶芸家の一つの考えを読むことができる 興味深い文章です。
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ここに出品している人は、日本伝統工芸展(陶芸部門)の厳しい鑑査を越えて、実績を積んで正会員になった作家であることを、お互いに認識したい。
日本の工芸は永い歴史を持ち、特にやきものは最も古く、作られたものがかたちとして連綿と続いて残って来ている。
縄文式土器から一万三千年とか、それよりもっと遡るとも言われるが、太古からの歴史と伝統を持っている。
ここで「伝統」を考えてみると、そこに住んでいる人々が周りの環境から学んで永年かかってつくり上げた感性を基とした思考方法や表現方法による美意識であると思うが、周りの環境とは大自然の動きでもある、その民族と言ってもいいが、民族固有のものだ。
美意識の原型として縄文的なるものと、弥生的なるものとの二つがあると言われ、其の内容は正反対のものだが、あまり問題にもされない時もあった縄文時代だが、一万年以上もあり、両者を比較してみると教えられるところは大きい。
過酷な自然環境の中から生まれたものと、徒然草にある有名なくだりだが「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。」と最も日本的と言われている両者だ。
勿論、我々の伝統は外来文化の影響も大きく、咀嚼して多くを受け入れて来てはいるが、この感性の巾の広さと、他に類をみない美意識と表現方法を持っている。それは一人一人の心のどこかに潜むものでもある。如何に表現するかだ。
いま陶芸を考えた時、大変な過渡期であるだけに我々のなさなければならない大きな使命がそこにあり、国際社会に訴える時でもある。
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by ikkannet
| 2007-05-28 01:39
| 私の仕事